近視手術の後遺症対策研究会~レーシックの裁判例
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スパーテルを誤った位置へ侵入させ、
原告の右眼角膜を損傷させたことに対する損害賠償請求事件



裁判年月日  平成23年10月 6日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平21(ワ)37938号
事件名  損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2011WLJPCA10068001

要旨
◆被告が院長を務めていた病院においてイントラレーシック手術を受けた原告が、本件手術によって、右眼に角膜混濁、角膜皺形成などの障害が発生し、右眼の視力が低下したまま矯正不能な状態に陥ったなどと主張して、被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づく慰謝料等の損害賠償を求めるなどした事案において、担当医師がスパーテルを誤った位置へ侵入させ、原告の右眼角膜を損傷させた注意義務違反があり、担当医師の同不法行為につき被告は使用者責任を負うとして、請求を一部認容した事例

出典
ウエストロー・ジャパン

参照条文
 
民法415条
 民法709条
 民法715条

東京都江東区〈以下省略〉      
原告  
同訴訟代理人弁護士  永塚良知
東京都渋谷区〈以下省略〉    
被告
同訴訟代理人弁護士     中城重光 

主文

 1  被告は,原告に対し,704万7886円及びこれに対する平成17年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2  原告のその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

 3  訴訟費用は,これを11分し,その9を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。

 4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

 

事実及び理由

第1  請求

 1  主位的請求

  被告は,原告に対し,4670万3960円及びうち3891万9967円に対する平成21年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2  予備的請求

  被告は,原告に対し,4670万3960円及びうち3891万9967円に対する平成21年9月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

  本件は,被告が院長を務めていたaクリニック(以下「被告病院」という。)において平成17年7月6日にイントラレーシック手術(以下「本件手術」ともいう。)を受けた原告(昭和44年○月○日生まれの男性。本件手術当時35歳。)が,本件手術によって,右眼に角膜混濁,角膜皺形成などの障害が発生し,右眼の視力が低下したまま矯正不能な状態に陥ったなどと主張して,①主位的には,不法行為又は債務不履行に基づいて慰謝料等の損害金及びこれに対する平成17年7月6日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,②予備的には,原告と被告との間に,同年9月17日,本件手術により発生した損害金を支払う旨の合意が成立したところ,被告は当該合意に基づく支払を怠ったとして,当該合意の債務不履行に基づく損害金及びこれに対する同月18日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

 1  前提事実(証拠により認定した事実については,括弧内に証拠を掲記する。その余の事実は当事者間に争いがない。)

    (1)  当事者

    ア 原告は,○○など○○○を扱う株式会社○○○及び有限会社○○○○の役員を務める者である。

    イ 被告は,本件手術当時,被告病院の院長を務めていた医師である。

    (2)  前提となる医学的知見

    ア 角膜の構造(甲B1)

  角膜は何層かの膜に分かれており,それぞれの層ないし膜を,体外に面しているものからより深いところに位置しているものへと順に列挙すると,おおむね次のとおりである。

  (ア) 角膜上皮

  (イ) ボーマン膜

  (ウ) 角膜実質層

  (エ) デスメ膜

  (オ) 角膜内皮

    イ イントラレーシック手術(甲A2,甲B1,乙A5,乙B7,乙B10)

  (ア) 概要

  レーシック手術とは,角膜にエキシマレーザーを照射し,光の屈折率を調節する屈折矯正手術である。フラップを角膜に作成し,フラップをスパーテルでめくって露出させた実質層にエキシマレーザーを照射して,角膜の屈折率を調節することで視力を回復させる。

  レーシック手術のうち,フェムトセカンドレーザー(以下「FSレーザー」という。)と呼ばれるコンピュータ制御されたレーザーを用いてフラップを作成する手法を,イントラレーシック手術という。

  (イ) 用語

   a フラップ

  角膜上皮から角膜実質層にかけて作成される薄い膜であり,蓋のような役割を果たす。厚さは約90μmから110μm程度で,直径は9.0mm程度である。ヒンジと呼ばれる蝶番のような役割を果たす部位と併せて作成される。

   b ポケット

  フラップのヒンジ部に作成される一段深い角膜の層間切開である。

   c スパーテル

  作成したフラップをめくるための金属製の器具。先端はヘラ状になっており,丸くなっている(甲A6,被告Y本人)。

  (ウ) 手順

   a 患者に局部麻酔薬を点眼する。

   b 患者の眼前にレーザーの照射部が位置するように,FSレーザーの装置と患者の頭部の位置を調整する。

   c FSレーザーの装置に,①フラップ厚,②フラップ直径,③ヒンジ位置,④ポケットの位置及び有無,⑤ポケット幅,⑥ポケット深度などの各種数値,設定を入力する。

   d 開瞼器で患者の瞼を開いて固定し,FSレーザーを照射して,フラップを作成する。

   e 患者を手術室から退室させ,10分から20分休憩させる。

   f 患者を再度手術室へ入室させ,スパーテルを用いて,フラップをめくり,露出した角膜実質層にエキシマレーザーを照射し,角膜の屈折力を変化させる。

   g エキシマレーザー照射後,フラップを元の位置に戻し,消毒を行って終了する。

    (3)  事実経過の概要

    ア 本件手術までの経過

  (ア) 原告は,両眼とも近視性乱視であった(両眼の裸眼視力はそれぞれ0.3であった(乙A6)。)ことから,イントラレーシックによる屈折矯正手術に関心を持ち,平成17年7月4日,被告病院へ行き,手術のための診察を受けたところ,同月6日に本件手術を受けることとなった。同月4日の診察において,原告は,被告病院の担当医師やカウンセラーから,手術後の合併症等の説明を受け,屈折矯正手術説明承諾書に署名押印した(甲A2)。

  (イ) 原告は,平成17年7月6日,被告病院において,本件手術を受けた。

    イ 本件手術後の経過

  (ア) 本件手術後,原告の左眼の視力については,1.5に回復し,その後2.0にまで回復したが,右眼の視力は回復しなかった。

  (イ) 原告と被告は,損害賠償についての交渉を開始し,被告が原告に対して100万円の支払を提示したことがあったが,原告はこれを拒絶し,交渉を更に継続した。

  (ウ) 原告と被告は,平成17年9月17日,原告の営業にかかわる交通費(タクシー代)及び他院での診察治療費について,原告が被告にそれらの領収書を提出し,被告が相当額を支払う旨の約定などが記載された「申し入れ書」と題する書面(甲C1。以下「本件合意書」という。)を取り交わした。

  (エ) 被告は,本件合意書に基づき,原告に対して金員の支払を続けていたが,原告は,右眼の症状が改善しないことなどから,平成17年12月21日,東京地方裁判所に対し,被告を相手方として証拠保全の申立て(東京地方裁判所平成17年(モ)第14559号証拠保全申立事件)を行い,平成18年2月13日,証拠保全決定が発せられ,同年3月1日午後1時30分,証拠保全手続が実施された。

  (オ) 被告は,本件合意書に基づく金員の支払を平成19年12月27日まで続けたが,同日を最後に中断した。原告は,平成20年2月21日,被告に対し,定期金給付賠償による解決案を提案したが,被告は,これを拒絶した。

  (カ) 原告は,平成21年1月15日,被告を相手方として,東京簡易裁判所に調停を申し立てた(東京簡易裁判所平成21年(ノ)第50017号調停申立事件)。被告は,原告に対し,解決金として100万円の支払を提示したが,原告がこれに納得しなかったため,調停は不調となった。その後,原告は本件訴訟を提起した。

 2  争点及び当事者の主張

    (1)  注意義務違反

  (原告の主張)

    ア 主位的請求

  (ア) イントラレーシックによる屈折矯正手術を行う医師ないし技師には,フラップの作成に当たり,角膜の適切な部位にフラップを作成しなければならない注意義務があるところ,被告病院の担当医師ないし担当技師は,これに反し,角膜実質深層にフラップ作成を試みた注意義務違反があり,これによって,原告には角膜混濁,角膜皺形成などの障害が生じた。

  被告は,被告病院を開業して担当医師及び担当技師を使用していたのであるから,使用者責任又は債務不履行責任を負うことが明らかである。

  (イ) 仮に,被告が主張するように,原告に右眼視力低下等の結果が生じた原因が,スパーテルの侵入によるものであったとしても,スパーテルを操作していたのは被告病院の担当医師であったのであるから,被告に責任が認められることは明らかである。

    イ 予備的請求

  原告は,被告との間で,平成17年9月17日,本件合意書を取り交わし,本件手術によって発生した損害金を被告が負担する旨の合意を行ったところ,被告は,平成19年12月27日を最後に,当該合意に基づく損害金の支払を怠ったのであるから,当該合意に基づく債務不履行責任を負うものである。

  (被告の主張)

    ア 主位的請求について

  否認し争う。

  原告の右眼に障害が生じた原因は,被告病院の担当医師が,FSレーザーを照射してフラップを作成した後,エキシマレーザーを照射するために,スパーテルを用いてフラップをめくる動作をしたところ,スパーテルが本来剥離するべき層と異なる層に侵入してしまい,そのため,角膜形状変化と角膜の濁りが生じたものと考えられる。

  そうすると,原告について,フラップは角膜の適切な部位に作成されていたのであるから,フラップの作成について原告の主張する注意義務違反はない。

    イ 予備的請求について

  否認し争う。

    (2)  損害

  (原告の主張)

    ア 未払治療費 17万9190円

  (ア) 内訳

   a 聖路加国際病院 5万1620円

   b 井上眼科病院及び同病院付属お茶の水・眼科クリニック 9590円

   c 慶應義塾大学病院 5万8580円

   d マッサージ 5万9400円

  (イ) なお,本件合意書に基づき,被告がその内容と金額を承認した上で原告に対し支払った既払治療費があるが,その支払の対象となった治療費を損害の項目には入れていないので,上記既払治療費は既払金控除の対象とはならない。

    イ 未払交通費 38万6280円

  なお,本件合意書に基づいて支払われた既払交通費があるが,既払治療費と同様の理由で,上記既払交通費は既払金控除の対象とはならない。

    ウ 通院慰謝料 230万円

  通院期間約4年間に対応するものである。

    エ 将来治療費及び交通費 651万0673円

  原告は,右眼の角膜混濁等により視力矯正が不能になったという後遺障害が残存することから,仕事上自動車を運転することに制約があり,経過観察のための通院やマッサージ治療を継続しなければならない。原告は,被告から,営業上の交通費及び他院での治療費(マッサージ代を含む。)として,本件合意書に基づき月平均43万円の支払を受けていた。

  (計算式)

  43万円(1か月当たりの上記費用の平均額)×15.1411(就労可能年数29年に対応するライプニッツ係数)=651万0673円

    オ 現在発生している後遺障害慰謝料 400万円

  原告は,右眼の視力の矯正が不能になったことから,左右の視力の極端な差という他覚所見が残存しており,視神経に過度の負担が生じ,眼精疲労による首,肩の凝りが慢性的に生じている。

  したがって,原告の上記障害は,他覚所見のある神経症状が認められるのであるから,後遺障害等級12級相当の後遺障害に当たるというべきである。

  また,原告には,日常生活の不便,精神的な負担が発生しており,本件事故後の被告の対応も,加害者として不誠実であったというべきであるから,これらの事情も斟酌すれば,後遺障害慰謝料としては400万円が相当である。

    カ 逸失利益 2187万5716円

  原告は,会社の役員であり,当時の給与の合計は1290万円であったところ,勤務先の会社は両社とも小規模の同族会社であることや,原告自身も販売,営業,在庫管理,会計等の労務に従事していることから,原告の給与のうち労働対価部分の割合は8割である。症状固定日である平成20年6月27日における原告の年齢は38歳であるから,就労可能年数は29年である。

  (計算式)

  1290万円×0.8(労働対価部分)×15.141(就労可能年数29年に対応するライプニッツ係数)×0.14(後遺障害等級12級に対応する労働能力喪失率)=2187万5716円

    キ 訴訟関連費用 12万9930円

  (ア) 証拠保全記録謄写料 9万7380円

  (イ) 反訳料 3万2550円

    ク 弁護士費用 353万8178円

    ケ 確定遅延損害金

  (ア) 主位的請求 778万3993円

  本件医療過誤発生日である平成17年7月6日から同21年7月5日までの4年間の確定遅延損害金を求めるものである。

  (イ) 予備的請求 778万3993円

  本件合意書による合意が成立した日の翌日である平成17年9月18日から債務不履行に基づく損害賠償請求権の遅延損害金が発生するので,同日から平成21年9月17日まで4年間の確定遅延損害金を求めるものである。

    コ 合計 4670万3960円

  (被告の主張)

    ア 原告の主張する損害金の項目について

  いずれも否認し争う。

  診断書(甲A11)によれば,原告の症状は,遅くとも平成19年8月3日までに完治していたのであるから,これを前提とした算定がされるべきである。

    イ 既払金控除について

  仮に,本件手術について,被告に責任が認められるとしても,被告は,原告に対し,現在までに合計915万4113円を支払っている。したがって,この金員は,原告の損害に当然充当されるべきものである。

第3  当裁判所の判断

 1  争点(1)(注意義務違反)について

    (1)  原告は,被告には角膜の適切な部位にフラップを作成すべき注意義務があったにもかかわらず,これに反して角膜実質深層にフラップの作成を試みた注意義務違反があると主張し,これに対して,被告は,フラップは適切な部位に作成されており,原告の右眼に障害が生じた原因はフラップをめくる際にスパーテルが侵入したことによるものであると主張するので,これについて検討する。

    ア この点について,被告は,平成18年9月13日に被告病院において行われた原告に対する説明会から現在に至るまで,原告の右眼には,正規の位置である110μm前後の深さにフラップが作成されているのであって,右眼に障害が生じた原因として考えられるのは,当該フラップをめくる際にスパーテルがフラップ作成部よりも深い層に侵入してしまったことである旨を,一貫して供述している(甲A6,甲A7,乙A2,乙A7,被告本人)。

  また,本件手術を行った際,FSレーザーの装置に各種数値,設定を入力した被告病院の臨床工学技士であるA(以下「A」という。)も,原告の右眼には正規の深さでフラップが作成されたものであり,原告が主張するように本来よりも深い位置にフラップが作成されたとは考え難い旨を供述している(乙A3,証人A)。

  被告の上記供述内容は,フラップが適切な位置に作成されたことの裏付けとして,右眼に対しても,本件手術により視力が回復した左眼に対するのと同様にエキシマレーザーが照射されたとみられることを挙げ,更にその根拠として,本件手術後,原告の右眼の角膜厚が左眼と同様に減少していることや,右眼の角膜の形状が左眼と同様に平坦化していることなど(甲A16,乙A6)を指摘するものであるから,客観的な根拠に基づく合理的な推論ということができ,信用し得るものといえる。

  また,Aの上記供述は,オートプリントレコードと呼ばれるFSレーザーの装置から手術を行う度に出力される手術記録(甲A1の3,乙A1)に基づいて,原告の右眼に作成されたフラップは110μmの深さに作成されたものであり,適切な位置に作成されているとの内容を断言するものであって,その供述内容にはやはり合理的な根拠があるものといえる。

    イ これに対し,原告は,原告の右眼に作成されたフラップは,およそ400μmの深さに作成されたものであり,被告には,不適切な位置にフラップの作成を試みた注意義務違反があると主張する。

  確かに,被告が主張するように,深さ360μmないし400μm付近の角膜実質深層部に広範囲の混濁が認められることが記載されたB医師(以下「B医師」という。)作成の照会回答書(甲A4,以下「B医師回答書」という。)及びC医師作成のセカンドオピニオン報告書(甲A5,以下「C医師報告書」という。)があり,さらに,角膜実質深層部に広範な混濁があることを示すものとみられる画像(甲A17,甲A18)があることからすると,原告が主張する深さにフラップが作成された可能性を完全に否定することはできない。

  しかし,本件手術で用いられたFSレーザーの装置については,その設定上,フラップを作成する深さを設定する項目である「DEPTH」に,ポケットを作成する深さを設定する項目である「START DEPTH」に入力されている数値よりも大きい数値を入力しようとすると,警告文がディスプレイ上に表示されること,同じく「DEPTH」に,180μmよりも大きい数値を入力しようとすると,やはり警告文が表示されることが認められるから(乙B2,乙B3,証人A),同装置を用いて360μmないし400μmの深さにフラップが作成されたものとは考え難い。加えて,上記深さに数値を合わせた入力がされたとするのは,本件手術後に作成されたオートプリントレコードの記載中,「DEPTH」の項目に110との数値が記録されていることにも反するものというべきである(甲A1の3,乙A1)。

  また,原告の指摘するC医師報告書も,スパーテルの侵入のみによって原告の角膜実質深層部に混濁を生じた可能性を完全に否定するものではないと解されるし,B医師回答書は,400μmの深さにフラップが作成されたことを前提にしたものであるが,原告の角膜実質深層部に混濁や皺が形成された原因としては,「術者がスパーテルなどの器具を用いてフラップをLiftingしようと試みた際に前房内に穿孔した為と考えられる」などと述べており,スパーテルが本来よりも深い位置に侵入してしまったとする被告の主張とも矛盾するものではないと考えられる。

  さらに,画像上(甲A17,甲A18),角膜の深い部分に原告が主張するような広範な傷が現れていることが認められるが,これと同時に,被告が主張するような深さにフラップが作成されたと見て少なくとも矛盾しない所見も同画像上現れていること(被告本人)からすれば,同画像も,被告の主張を排斥するものではない。

    ウ したがって,本件手術において,原告の右眼に障害が生じたのは,被告が主張するとおり,スパーテルが角膜の深い部分に侵入したことによるものと認めるのが相当であり,被告にはフラップを適切な位置に作成しなかった注意義務違反があったとする原告の主張を採用することはできない。

    エ なお,原告は,FSレーザーの装置の設定上,フラップを深い位置に作成することができないとする被告の主張を,時機に後れた攻撃防御方法の主張として排斥されるべきと主張するが,本件訴訟の進行上,被告の上記主張が時機に後れたとまでいえないことは明らかである。

    (2)  しかしながら,被告が主張するとおり,スパーテルが誤った位置に侵入してしまったとの事実を前提とした場合であっても,医師がイントラレーシック手術を行うに当たっては,フラップをめくる際,スパーテルをフラップが作成された位置以外の誤った位置に侵入させ,角膜に傷を生じさせないようにするべき注意義務を当然に負うものと考えられるから,本件手術においてスパーテルを実際に操作していたものと認められるD医師(甲A1の2,甲B1,乙A6,証人A)は,上記注意義務に違反したものといえる。

  そして,被告は,本件手術当時,被告病院の院長としてD医師を使用していたものと認められるのであるから,被告がD医師の上記注意義務違反について使用者責任を負うことは明らかである。

    (3)  以上のとおり,被告には,本件手術の際に,スパーテルを誤った位置へ侵入させ,原告の右眼角膜を損傷させた注意義務違反が認められるところ,当該注意義務違反によって,原告の右眼には,角膜混濁及び角膜皺形成並びにこれらに基づく不正乱視が生じ,これによって,原告の右眼視力は0.4ないし0.5の状態から矯正することが不能になったものと認められる(甲A4,甲A5,甲A8,甲A10)。原告に生じたこれらの障害結果と被告の上記注意義務違反との間に,因果関係が認められることは明らかである。

    (4)  よって,被告の主張を前提としても被告には注意義務違反が認められるとする原告の主張には,以上のとおり理由がある。

 2  争点(2)(損害)について

  進んで,被告の注意義務違反と相当因果関係の認められる原告に生じた損害について検討する。

  その前提として,原告に生じた角膜混濁,角膜皺形成等の障害について,症状固定日がいつであるかを検討すると,原告の症状について,その病名を右眼角膜混濁とし,角膜混濁と角膜皺形成が残存する状態において症状固定したものと考える旨を記載した平成20年6月27日付けのB医師作成の診断書(甲A8)があり,これによれば,同日付けで原告の症状は固定したものと考えるのが相当である。

    (1)  治療費 10万2750円

    ア 原告が症状固定日までの間に受診した被告病院以外の医療機関に負担した治療費については,その全額を相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。その内訳は次のとおりである。

  (ア) 聖路加国際病院(甲C2の12ないし36) 5万1620円

  (イ) 井上眼科病院及び同病院付属お茶の水・眼科クリニック(甲C2の1ないし6) 9590円

  (ウ) 慶應義塾大学病院(甲C2の7ないし11) 4万1540円

    イ 慶応義塾大学病院における平成21年4月30日から平成22年5月21日までの治療費合計1万7040円(甲C9の1ないし6)については,症状固定日以降の治療費であるから,損害には当たらない。

  また,原告は,マッサージ治療の代金(甲C2の37,甲C2の38,甲C12の1ないし4)を損害として請求するが,マッサージ治療を受けることが医師の指示によるものであるとの事実を認めるに足りる証拠はないこと,マッサージ治療によって眼科への通院回数が減少するなどの効果が上がっているとの事実を認めるに足りる証拠はないことなどを考えると,上記代金は損害には当たらない。

    (2)  タクシー代(甲C3の1ないし83,甲C11の1ないし73) 38万3280円

  原告は,本件手術後,自分で自動車を運転することが不可能になったわけではないが,角膜瘢痕等に基づく不正乱視によってまぶしさを感じるようになったこと,そのため,自分で自動車を運転する場合には,サングラスの装着を余儀なくされ,運転する距離も自宅から勤務先などの短距離に限られるなど,自動車の運転に一定の支障が生じたことが認められる(甲C7,乙A4,原告本人)。そうすると,原告がタクシーを利用したことはやむを得なかったものということができ,上記のタクシー代は損害に当たるものといえる。

    (3)  通院慰謝料 125万円

  原告は,本件手術後の平成17年8月4日から,聖路加国際病院,慶応義塾大学病院並びに井上眼科病院及び同病院付属お茶の水・眼科クリニックの各病院への通院を開始したことが認められるところ,通院を開始した同年8月から同年12月までは,1か月当たり二,三回の頻度でいずれかの病院へ通院していたが,平成18年以降は,数か月に1回程度の割合でいずれかの病院へ通院していたものと認められる(甲C2の1ないし36)。

  このような原告の通院状況を踏まえると,通院慰謝料の算定の基礎となる通院期間は,平成17年8月4日から同年12月末日までの150日に,平成18年以降の通院回数である20回に3.5を乗じて得られたところの70日を加算した220日間とするのが相当である。

  したがって,通院慰謝料については,通院期間220日間を基礎として125万円と評価するのが相当である。

    (4)  将来治療費及び交通費 0円

  原告は,後遺障害が残存することから,仕事上自動車を運転することに制約があり,かつ,経過観察による通院及びマッサージ治療を継続する必要がある旨主張する。

  しかし,前述したように,原告は,現在においては,短距離に限れば自動車を自分で運転することができると認められること,症状固定日以後の通院頻度は,それ程高いものではないとみられること(甲C9)からすれば,将来にわたって通院を継続する必要性が高いとはいえず,したがって,症状固定日以後の治療費及び交通費を損害と認めることはできない。

    (5)  後遺障害慰謝料 110万円

    ア 原告の右眼は,角膜瘢痕及び不正乱視による視力低下があり(平成21年4月1日現在の裸眼視力0.4),その矯正が不能又は相当に困難であること,原告は,左右の眼の視力差や右眼の不正乱視の症状のために,眼精疲労,眼底痛,肩こりなどの自覚症状を感じていることが認められるから(甲A8,甲A10,甲C7,原告本人),原告の後遺障害等級は,後遺障害等級14級9号にいう「局部に神経症状を残すもの」に準じて14級に当たると評価するのが相当である。

  したがって,後遺障害慰謝料としては110万円を認めるのが相当である。

    イ これに対して,被告は,平成19年8月14日付けのB医師作成の回答書には,「右眼角膜後面に存在していた皺(micro-striae)は減少傾向にあることが確認され,裸眼視力0.5,矯正視力0.7と改善傾向にあることが確認された」との記載があることから(甲A11),原告の症状は遅くとも同日の時点で完治していたのであって,そもそも原告に後遺障害は認められない旨主張する。

  しかし,同回答書は,原告の症状が減少傾向ないし改善傾向にあることを指摘するにとどまっており,原告の症状が完治したことを明言するものではない上,原告には,当時,後遺障害として角膜拡張症を生じる可能性があったことも指摘しているのであるから,遅くとも同日の時点で原告の症状が完治していたとする被告の上記主張を採用することはできない。

    ウ なお,原告は,被告の本件訴訟における不誠実な主張ないし対応が慰謝料の増額事由に当たる旨をるる主張するが,本件訴訟において,被告が殊更に不誠実な主張や対応をしたとは認められないから,原告の上記主張を採用することはできない。

    (6)  逸失利益 344万1926円

    ア 原告には上記のとおりの後遺障害が残存していることのほか,本件手術以後,原告は,勤務先の会社で担当していた経理等の仕事を本件手術以前のようにすべて行うことが困難となっていたこと(甲C10,原告本人)が認められる。しかし,原告の後遺障害について,日常生活,労働,スポーツ等を行うに当たり大きな支障となるわけではない旨記載された平成21年6月10日付けのC医師作成報告書(甲A10)があり,原告は短距離であれば実際に自動車を運転することができるなどの事実が前記のとおり認められることからすれば,原告の労働能力が永続的に喪失するものと考えるのは妥当ではなく,労働能力喪失期間としては,症状固定日から10年間と評価するのが相当である。

    イ したがって,原告の逸失利益は次のとおり算定される。

  1290万円(本件手術直前の平成16年度の基礎収入)×0.8(勤務先の会社における役員としての労働対価部分)×0.05(後遺障害等級14級に対応する労働能力喪失率)×6.6704(労働能力喪失期間13年間に対応するライプニッツ係数9.3936-同3年間に対応するライプニッツ係数2.7232)=344万1926円

    (7)  訴訟関連費用 12万9930円

  原告の主張する証拠保全の記録謄写料(甲C13)及び被告病院における説明会の反訳料(甲A7,甲C14)は,いずれも本件訴訟を提起するために必要であった費用と認められるから,全額を損害として認めるのが相当である。それぞれの金額は次のとおりである。

    ア 証拠保全記録謄写料(甲C13) 9万7380円

    イ 反訳料(甲C14) 3万2550円

    (8)  弁護士費用 64万円

  弁論の全趣旨によると,原告は,本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に依頼し,報酬の支払を約したことが認められるが,本件訴訟の内容,審理の経過,認容金額等に照らすと,被告の注意義務違反と相当因果関係のある損害として被告において負担すべき弁護士費用の額は,上記(1)~(3),(5)~(7)の認容額の合計640万7886円の約1割に当たる64万円と認めるのが相当である。

    (9)  遅延損害金

  被告は,原告に対し,使用者責任に基づいて損害金の支払債務を負担するから,本件手術が行われた平成17年7月6日から損害金元本の支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払をすべき義務を負う。

    (10)  既払金控除

  被告は,本件訴訟が提起される以前において,本件合意書に基づき,既に原告に対して合計915万4113円を支払っていたのであるから,上記金額は,既払金として原告の請求から控除されるべきである旨主張する。

  確かに,本件手術後,被告から原告に対し,本件合意書に基づいて,少なくとも合計515万6880円が支払われたとの事実が認められる(甲C4,甲C10,原告本人)。しかし,これらの金銭の支払に当たっては,原告が,支払われる金額の根拠となる領収書等を,支払の都度被告に提出していたというのであるから(原告本人),被告の主張する既払金は,原告が本件訴訟において損害金と主張する以外の治療費及び交通費について,本件合意書の約定に基づき原告に対して任意に支払われたものと認められる。そして,原告から被告に対して過大な請求がされていたなどという事実を認めるに足りる証拠もない。

  したがって,被告の上記主張を採用することはできないから,上記既払金を損害金から控除することは相当でない。

    (11)  合計 704万7886円

 3  予備的請求について

  原告は,本件合意書において,本件手術によって発生した損害金を被告が負担する旨の合意がされたと主張するが,本件合意書には,本件手術によって発生した損害金の負担については今後話し合うこととした上で,営業交通費や他院での治療費の支給について取り決めるという趣旨の記載しかされていないのであり,これによって原告が主張するような内容の合意がされたものとは認められない。したがって,予備的請求は理由がない。

第4  結論

  以上によれば,原告の主位的請求は主文1項の限度で理由があるからこれを認容し,その余の主位的請求及び予備的請求は理由がないからこれをいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64条本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

  (裁判長裁判官 髙橋譲 裁判官 榮岳夫 裁判官 中町翔)

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